BUG新卒採用ページ
20年史
  1章 BUG草創期
  1-1 北海道マイコン研究会
  1-2 個人経営ソフトウェアハウスB.U.G.誕生
  1-3 東京での就職活動
  2章 BUG設立
  2-1 株式会社BUG設立
  2-2 主力製品
  2-3 大企業ソニー
  2-4 大日本印刷との出会い
  2-5 インドネシアと中国にて
  3章 新社屋建築
  3-1 MPS
  3-2 テクノパークに新社屋
  3-3 MPSからの産物
  4章 開発物語
  4-1 Macintoshのデベロッパーカンパニー
  4-2 B.U.G.に子会社誕生
  4-3 ハイビジョン映像機器
  4-4 データベース出版システム
  4-5 MN128開発物語
  4-6 波乗野郎開発物語

1-3 東京での就職活動

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 当時の北大では、就職のために、「東京のメーカーに会社訪問するツアー」なるものが行われていた。自分たちの会社B.U.G.を創立した4人であったが、1978年、大学4年目を向かえた春休み、そのツアーに全員で参加してみることにした。ところが、札幌育ちの4人が東京で見たものは、押し合いへし合いの通勤ラッシュに、ゴミゴミとした環境。ここで就職をするということは大変なことだ、ちょっと東京で就職する気にはなれない、という印象を持って帰ってきた。

 その年の5月、北大の学校祭では、電子工学科の発表会兼展示会のようなものが初めて開かれた。一般の人向けの学科発表のようなもので、概ね、大学の研究内容を一般の人にもわかりやすく見せて楽しんでもらう、という主旨で行われるものだ。これまでも理科系の学科では、子供たちに簡単な理科の実験を見せて喜んでもらう、というようなことがよく行われていたが、電子系の学科では初めての試みであった。マイコンが出始めた頃だったので、一般の人にもマイコンに触れて親しんでもらおうと、自作マイコンを展示して、BASICでつくったゲーム(山本先生作「スタートレック」など)を楽しんでもらったり、プログラムに音符を入れて音楽を流したりしよう、ということになった。この展示会運営の中心となっていたのが、B.U.G.でもあった。特に、B.U.G.創立の第一人者服部の始動開始の場ともなった。展示会の出展物集めなどに奔走し、その行動力を発揮し始めていた。B.U.G.からも何点もの自作マシンが展示され、北大祭の成功に一役かっていた。

Cromemco
Cromemco

 こうして学生生活をエンジョイしながらも始動開始したB.U.Gであったが、当時は、北大に出入りしている電気機器の販売会社などから仕事をぱらぱらともらって少しづつやっているという程度であった。その他には、CP/M互換のフロッピーディスクベースのZ80のマイコン「クロメンコ」のキットの組み立てを若生、服部あたりが、伊福部先生から5万円ほどで請け負ったりしていた。クロメンコは、完成品の半額に近い価格でキットが売られており、キットを購入して完成品に組み上げれば伊福部先生も助かるし、アルバイトにもなると彼らは考えた。さらに、メモリ基板を自分で設計して手配線で作ればキットを買うよりも安かった。クロメンコのメモリ基板には非常に高価なStatic RAMが使われていたため、誰もがDynamic RAMを使えば安価にできるだろうに、と思っていた。そして若生はDynamic RAMを使ったメモリ基板の設計には絶対の自信を持っており、「メモリ基板1枚1万円で組み立てます」というなかなか怪しいアルバイトもしていたようだ。しかし、そこに大きな落し穴があることをまだ誰も気付いてはいなかった。この若生のメモリ基板は、後々運命的な役割を果たすことになる。

 そんな中、1978年12月、苫小牧市営交通バスターミナル運行管理のシステムを作ってみないか、という話が大学から舞い込んできた。具体的には、バスの発着信を表示するようなシステムをBASICで開発するというものである。実は、そのシステム開発を請け負っていた札幌の電気機器販売会社ソード札幌社が、納期直前になってシステムがうまく動かずに、学生に依頼してきたのである。早速、引き受けることにしたが、このときばかりは、B.U.G.だけではさすがに人が足りず、伊福部先生の研究室から学生10人ほどが大量に動員され、数日間に渡って2、3人ずつが苫小牧に泊り込み、徹夜で開発を続けるという大仕事となった。蛸部屋に泊り込み、ほとんど食事付の日雇労働のようなアルバイトと変わらない状態であったため、脱落者が続出し、最後はB.U.G.創業メンバーを含めて5、6名だけが残り、さらに1〜2週間その状態で開発を続け、仕事を仕上げた。結局、このシステムは何とか納期にも間に合い、無事納品され、最近まで苫小牧市のバスターミナルで実際に運用されていた。バスの運行管理に関するマイクロコンピュータシステムは全国初でもある。

 この仕事の成功から、B.U.G.に大学の先生などからの紹介で少しずつシステム開発の仕事が入るようになっていった。北海道内から何件か引き合いがくるようにもなり、東京での就職活動を経験した彼らにとって、単に自分たちのコンピュータをつくるための資金作りから、本格的に会社を設立するための資金作りへと徐々に目標が変わっていくのであった。

 


さて、次回からは、第2章「株式会社ビー・ユー・ジー.設立」に入ります。とうとう株式会社に!80年代前半のB.U.G.の様子です。どうぞお楽しみに。


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Update.1999.06.10
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