BUG新卒採用ページ
20年史
  1章 BUG草創期
  1-1 北海道マイコン研究会
  1-2 個人経営ソフトウェアハウスB.U.G.誕生
  1-3 東京での就職活動
  2章 BUG設立
  2-1 株式会社BUG設立
  2-2 主力製品
  2-3 大企業ソニー
  2-4 大日本印刷との出会い
  2-5 インドネシアと中国にて
  3章 新社屋建築
  3-1 MPS
  3-2 テクノパークに新社屋
  3-3 MPSからの産物
  4章 開発物語
  4-1 Macintoshのデベロッパーカンパニー
  4-2 B.U.G.に子会社誕生
  4-3 ハイビジョン映像機器
  4-4 データベース出版システム
  4-5 MN128開発物語
  4-6 波乗野郎開発物語

2-3 大企業ソニー
    〜 SMC-70用各種周辺機器製造・販売 1982年

SMC-70
SMC-70

 日本では、1970年代の電卓戦争が終焉し、その後、ソード、東芝、日本電気、キヤノン、シャープ、日立などの各メーカーが次々とパソコンを開発し、市場に参入していった。そして、ソニーも独自仕様のパソコンで市場への参入を図っていた。「SMC-70」は、ソニーが初めて出した8ビットパソコンであり、このパソコンがB.U.G.の転機となった。

 マイクロソフトBASICが、世界標準となりつつある中、ソニーは、独自仕様のSMC-70 BASICが開発できる会社を探していた。そこに、日本初のパソコン月刊誌として有名なアスキーの初代編集長吉崎氏から、札幌におもしろい会社があるから、とB.U.G.を紹介されたのである。アスキーとはちょうど同じ時期に創業したこともあってか、何度か雑誌の原稿を頼まれて書いていたこともあり、多少の交流があった。
   

服部がアスキーに寄せた原稿
服部がアスキーに寄せた原稿

 こうして、ソニーのSMC-70の担当課長で、現在は「VAIO」など個人向け情報機器の担当部長を務める福田氏が、札幌までやってきてB.U.G.メンバーに会い、まず最初に、SMC-70用のモニタを書いてくれないか、と持ちかけた。モニタとは、パソコンの電源を入れたときに立ち上がり、BASICを動かしたり、メモリを書き換えたりする起動プログラムで、OSのはしりのようなものである。B.U.G.は、吉崎氏からソニーの人が来ることは聞いていたが、何のために来るのかはよく知らず、モニタであれば、以前にも書いたことがあったので、引き受けた。そして、モニタの開発が終わると、今度は、SMC-70用のBASICの開発を持ちかけられたのである。
当然のことながら、開発するにあたっての見積りを出すよう求められた。ところが、今までいくらでやってくれ、という北海道内の仕事しか受けたことがなかったので、見積書なるものを書いたことがなく、ましてや天下のソニーから、BASICを開発するように頼まれるとは想像もつかないことであり、まったく金額の見当がつかなかった。社内会議の末、どうせ値切られるだろうから普段の感覚でいう金額を1桁あげて、0を1つ多く書いてみようということになった。初めての見積書に内心どきどきしながら提出すると、これが案外すんなりとそのまま受け取られ、ソニーの大仕事を任されることになったのである。
 B.U.G.は、SMC-70向けに、Z80用BASICインタプリタを開発し、初のソニー製パソコンSMC-70に採用された。マイクロソフトBASICさながら、B.U.G. BASICとでも言おうか。みながマイクロソフトBASICを使っていたところに、少ないメモリで様々な機能を盛り込んだ画期的な国産のBASICとしてなかなか玄人受けし、評判は上々であった。

 納品を終えて、ソニーから金額の書かれた紙きれが送られてきた。どうやら手形のようである。ところが、今度は手形というものをどうすればお金に替えられるのか知らなかったので、ソニーの福田氏に、この手形について電話をしたところ、「手形は銀行に行けばお金に替えてくれるもので、ソニーの本社発行の手形だからどこの銀行に行っても替えてくれるはず。」とのことであった。言われた通り、近くの北海道相互銀行札幌西支店(現・札幌銀行)に行ってみたのだが、なかなかお金には替えてくれない。札幌銀行では、何でこんな若僧たちがソニーの本社発行の手形を持っているのか不思議だったようである。事情をとうとうと説明したのだが、結局2、3日はその手形はお金には替えてもらえなかった。ようやく納得したのか確認が取れたのか、札幌銀行はお金に替えてくれたと同時に、自分たちで会社を設立してがんばっている若者、B.U.G.に大変好意を持って接してくれるようになり、その先の苦しい時期でも資金面でのバックアップをしてくれた。

B.U.G.初の新聞広告
B.U.G.初の新聞広告

 後日、ソニーの福田氏から、「なんで見積りをあの金額で出したんだい。もう1桁多い金額を覚悟していたんだよ。」と聞くことがあった。さらに最初に依頼されたモニタの開発は、BASIC開発の事前テストのようなものであったことも聞いた。モニタの出来が、予想以上にレベルが高かったからか、見積りを見た時点でこの金額なら失敗してもよいだろうと踏んだからか、B.U.G.に任せることになったようである。B.U.G.にとって、1000万円を超える仕事はこれが初めてであった。

 その後、SMC-70用の周辺機器をB.U.G.ブランド「SMC-70用 ペリフェラルシリーズ」として次々と開発していった。B.U.G.初の一般ユーザ向け製品である。ペリフェラルシリーズは、ROMにドライバーソフトが組み込まれていたため、SMC-70は、ペリフェラルシリーズを接続するとドライバーソフトをインストールすることなく、BASICから直接呼び出せるようになっており、Plug & Playを実現していた。つまりは、仕様を知っているB.U.G.が独占的に周辺機器を作ることができたともいえる。SMC-70は、発売時期が少し遅く、時代は16ビットに移り始めていたためか、パソコンブームに若干乗り遅れ、そんなに売れたものではなかったが、ペリフェラルシリーズは、月に10台ほど、2年間で500台ぐらいの売り上げを記録するという、B.U.G.にとっては初の一般ユーザ向け製品で初のロングセラーとなった。ともかくこれがB.U.G.の最初の転機となり、これ以降、東京の仕事も引き受けるようになっていった。

 



次回は、「2-4 大日本印刷との出会い」です。またしても大きな転機を向かえます。お楽しみに。

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Update.1999.09.30
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