BUG新卒採用ページ
20年史
  1章 BUG草創期
  1-1 北海道マイコン研究会
  1-2 個人経営ソフトウェアハウスB.U.G.誕生
  1-3 東京での就職活動
  2章 BUG設立
  2-1 株式会社BUG設立
  2-2 主力製品
  2-3 大企業ソニー
  2-4 大日本印刷との出会い
  2-5 インドネシアと中国にて
  3章 新社屋建築
  3-1 MPS
  3-2 テクノパークに新社屋
  3-3 MPSからの産物
  4章 開発物語
  4-1 Macintoshのデベロッパーカンパニー
  4-2 B.U.G.に子会社誕生
  4-3 ハイビジョン映像機器
  4-4 データベース出版システム
  4-5 MN128開発物語
  4-6 波乗野郎開発物語

2-4 大日本印刷との出会い

 B.U.G.にとってもう1つの大きな出会いがある。大日本印刷である。
 大日本印刷との出会いをさかのぼると、学生時代に似鳥が開発した音声認識装置を納品したことが最初であった。その後、卒業して株式会社として仕事を始めてから、伊福部先生が、北大へリクルーティングに来ていた大日本印刷の役員に、ぜひおもしろい会社があるので見て欲しいとB.U.G.を紹介してくれたことがきっかけとなって、大日本印刷から印刷システムの開発を受注するのである。     

ひまわり画像処理システム
ひまわり画像処理システム

 1983年、SONYのSMC-70のインタプリタ開発とほぼ同時期に、B.U.G.は、気象衛星ひまわりのテレビ放送局向けの画像処理システムを開発していた。SONYの方を主に木村、村田で担当し、ひまわりの方を若生、似鳥で担当していた。これは、気象衛星ひまわりから配信される画像を受信し、テレビ用に画像処理するというシステムで、NHK札幌放送局に納品された。気象衛星ひまわりは、静止衛星で赤道上空東経140度に位置し、1日に4回、撮影した写真を地上に配信する。B.U.G.の開発した気象画像処理装置では、こうしてひまわりからNHK札幌放送局が受信したアナログのファクシミリ信号のデータを、あらかじめプログラムされた時刻表に基づいて自動的にハードディスクに8枚分記録し、放映時間になるとメモリに読み出してスタンバイの状態になるよう設計されていた。受け取った画像は、北海道の部分だけトリミングをしてテレビのサイズに加工し、雲は白、地上は青などのカラー表示化され、時刻も挿入され、時間の推移によってアニメーション表示されるようになっていた。83年から3年ほど、北海道のローカル放送で1分ぐらいの番組として放映されていた。

 ちょうど伊福部先生からの紹介で大日本印刷の画像研究所の担当役員が明日来社するということになっていたとき、NHKから画像が流れてしまって止まらないから直してほしいと気象画像処理装置が返品されていた。Genlock機能といって、テレビ用の同期信号にコンピュータ側が走査線の位置を合わせて流さなければならないのだが、この同期が乱れて画面が縦に流れていたのである。B.U.G.は、この気象画像処理装置を担当役員に見てもらおうと考えていたのだが、来社は明日にせまっており、これ以上おかしくすると見れない状態になるかもしれないので、何もいじらずにこのまま見せようということにした。ところが、若生だけが納得できず、夜中になってからこんなものは大日本印刷の役員には見せられない、きちんとしたものを見せたい、と思い立ち調整をしはじめた。しかし、とうとう基板まで外して調整しはじめたのだがよくはならず、徹夜の作業もむなしく、朝、担当役員が来るころにはまったく見られない状態になってしまった。結局、見せずじまいとなってしまい、もう大日本印刷との縁はないだろうとあきらめていた矢先、突然、画像研究所の研究員が来社した。

 当時の印刷会社は、大型汎用コンピュータを使って画像レイアウト処理を行っていたが、そのシステムの価格は億単位で、採算が取れていなかった。そこでより安価なマイクロプロセッサベースのコンピュータを使ったシステムに置き換えたい、と研究を進めていた。大日本印刷でも、大手企業の開発した印刷システムの導入をいろいろと図っていたが、なかなか思い通りのものがなく、どうせなら自分たちのところで開発しようと考えていたところだった。直接、担当役員に見せることはかなわなかったが、ひまわりの気象画像処理装置をNHK札幌放送局に納品しているという実績のあったB.U.G.に、マイクロプロセッサベースのコンピュータを使ってカラー印刷用に画像をレイアウトするシステムをつくれないだろうか、という相談がもちかけられたのである。

 大日本印刷の担当役員が見たB.U.G.の印象は、若者が数人でコンピュータをいじって何かちょこちょこと一生懸命やっている姿であったろう。何だかよく分からないけれど、彼らの画像処理技術の能力は抜群に高そうであるし、どうせ世の中にまだないものをつくるつもりなのだから失敗してもいいだろう、おそらくこのような気持ちで印刷の製版のシステム開発をB.U.G.に任せてみたに違いない。

MPS1
MPS1

 B.U.G.は、早速、カラー印刷用のスキャナから画像を取り込み、レイアウトしてフィルムに出力するまでのコンピュータシステムの開発に取り組んだ。83年末に回路設計から始めて、ハード、ソフト、と順次納品し、84年の夏に周辺機器も含めたシステムとして完成した。数千万円以上もの大受注であったが、まだB.U.G.には長期に渡って開発する余裕がなかったので、つまりは納品するまでの間食べていけないので、このように順次できたものから納品していくことで開発費を大日本印刷から分割で払ってもらっていた。大日本印刷は、若者たちが開発するきちんと動くかどうかもまだ分からないシステムに、一部前払いするという形をとってくれていた。そしてこのシステムが研究所で動き始めてから1ヵ月ほど経つと、工場で何セットか使ってテストをしてみたいので、もう数セット同じものが欲しい、との話が舞い込み、その後さらに量産へと展開した。

 こうしてMPS(MicroPageSystem)の前身となるカラー印刷コンピュータレイアウトシステムが開発されたのである。ここからB.U.G.の長い歴史をMPSが土台となって築いていくことになる。

 



次回は、「2-5 インドネシアと中国にて」です。初の海外進出はとんでもないことに.....。

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Update.1999.10.29

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