BUG新卒採用ページ
20年史
  1章 BUG草創期
  1-1 北海道マイコン研究会
  1-2 個人経営ソフトウェアハウスB.U.G.誕生
  1-3 東京での就職活動
  2章 BUG設立
  2-1 株式会社BUG設立
  2-2 主力製品
  2-3 大企業ソニー
  2-4 大日本印刷との出会い
  2-5 インドネシアと中国にて
  3章 新社屋建築
  3-1 MPS
  3-2 テクノパークに新社屋
  3-3 MPSからの産物
  4章 開発物語
  4-1 Macintoshのデベロッパーカンパニー
  4-2 B.U.G.に子会社誕生
  4-3 ハイビジョン映像機器
  4-4 データベース出版システム
  4-5 MN128開発物語
  4-6 波乗野郎開発物語

3-2 テクノパークに新社屋

 1981年、マイコン研究会の師でもある北海道大学の青木先生は、札幌商工会議所が主催した「北海道経済自立論文」という北海道経済の自立を指向することがテーマの懸賞論文に応募した。先生はその中で、北海道の産業を飛躍させるには、少ない資本や規模でも高い技術力を持った情報産業企業群を興こすことであると説き、そのためには、優秀な人材の確保や高度技術移転を可能にする産・学・官の協力が不可欠であると結論づけた。この論文は最優秀作に選ばれ、札幌テクノパーク構想の青写真となった。

札幌テクノパーク
札幌テクノパーク (右端の上がB.U.G.社屋)

 札幌テクノパークは、札幌市の郊外、手付かずの原生林が残る野幌森林公園の隣に造成されたハイテク企業団地である。「地元に設立されていたソフトウェアハウスやシステムハウスを集積し、技術向上や経営基盤の向上を支援育成することによって、札幌市の新たな都市型先端技術産業の一つとして根づかせ、その後の技術革新や情報化の進展に対応する研究開発の拠点都市としての地位を確立する」ことを目的として1983年に計画策定委員会が発足した。その前年には準備委員会があり、服部も出席していた。B.U.G.では、SONY SMC-70のBASICの開発やMPSの開発を始めるころで、自社屋の建設などは夢のような話であったが、業績とは関係なく小さくても賃貸でもよいから環境のよいところに社屋が欲しいとは願っていた。1984年の春ごろ、策定委員会では札幌市南区(芸術の森のある場所)という候補もあったが、厚別区の現在の場所にテクノパークを造成することに決定した。

 B.U.G.ではMPSの仕事が軌道に乗り始め、1985年のIGASでMPSを発表した後は売り上げがぐんと伸び、ついに自社屋建設を決意した。1985年の秋、テクノパークの造成が着工され区画が決まり、その様子を見に行った服部は一番端の3区画に決めた。雑然としたすすきの近くの北山ビルより、周りが森に囲まれたテニスコートや体育館のある社屋を思い描いて社内に反対する者はいなかった。

BUG社屋
完成間近

 大半の金融機関からはまだもう少し様子を見た方がいのでは、とずいぶん心配されたが、早速、建築会社のコンペに入り、丹下健三研究所出身者で作られた建築事務所アーキテクトファイブに依頼することにした。規模や緑地面積などを考慮した結果、同じくテクノパークに進出の意向を持っていたデービーソフトとお互いの独自性を保ちながら敷地をうまく生かした立地展開を図ることにした。社屋建設にあたっては、仕事をする上での快適さが一番に考えられ、パソコンを置いても手元で作業ができるスペースや各種ケーブルが収納できるよう机をオーダメイドにし、自然光をふんだんに取り入れた天井、光がモニターに映り込まないような照明、気分転換のためにAV機器のそろったリフレッシュスペースやテニスコートなどを完備した。1987年10月に着工し、1988年10月、両社屋「Link」が完成した。1977年、大学3年生のときのB.U.G.創立から11年目にあたる年であった。計画した時点での社員数は20名くらいであったため60名くらい入れる大きさと考えていたが、完成した時点での社員数は50名近くにもなっていた。

オンファロス
THE OMPHALOS

 完成する直前には、アーキテクトファイブからの紹介で世界的に有名な石の彫刻家イサム・ノグチ氏により、茶室のつくばい(手水鉢)の形をした石の彫刻がB.U.G.に贈られた。このつくばいは、ギリシャのデルフィ遺跡にあるアポロン神殿の「地球のへそ」を表すオンファロスという石組みに触発されて制作されたもので、B.U.G.が情報発信の中心になるよう願いを込めて「THE OMPHALOS」と名付けられた。石の中心からは常に水がわき出しており、心地よい音となって流れている。翌年には、周囲の自然環境と最先端技術との調和が評され、札幌市都市景観賞、さらにB.U.G.社屋は日経ニューオフィス賞も受賞した。

BUG社屋
社屋完成!

 デービーソフトとは、1986年、共同出資でワープロソフトの開発を目的としたデジタル・ファーム社を設立した。そこで共同開発されたPC-9800シリーズ用のワープロソフト「コラージュ」は、1985年に発売されたジャストシステムの「一太郎」がワープロ機能だけであったのに対して、ワープロ、スプレッドシート、ドローなどが統合された当時としては画期的なソフトウェアであった。機能的にはワープロも表計算もグラフィックも扱える素晴らしいものであったが、機能を追い求めすぎたのか開発に2年半近くもかかってしまったことと、当時のパソコンのCPU速度が遅く、メモリも少ない上で動かさなければならないために処理が追いつかず、とても遅いソフトウェアとなってしまったために残念ながらワープロソフトの標準にはなれなかった。現在のパソコンならすいすい動いたものになっているかもしれないが、少し時代を先走りすぎていた。商売としては失敗はしたかもしれないが、常に世の中にはない便利なものを開発しようとするB.U.G.らしさでもあった。新社屋建設の中、MPSの成功やコラージュの失敗など様々な経験を通して、B.U.G.には着実に力が蓄えられていった。
 1988年、北山ビルから完成したばかりのテクノパークの新社屋に移り、社員数も増え、社内報「B.U.G.レポート」も創刊された。ここからまたB.U.G.の新しい一歩が始まった。



次回は、「3-3 MPSからの産物」です。様々な技術やアイディアが生まれました。

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Update.2000.01.31
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