BUG新卒採用ページ
20年史
  1章 BUG草創期
  1-1 北海道マイコン研究会
  1-2 個人経営ソフトウェアハウスB.U.G.誕生
  1-3 東京での就職活動
  2章 BUG設立
  2-1 株式会社BUG設立
  2-2 主力製品
  2-3 大企業ソニー
  2-4 大日本印刷との出会い
  2-5 インドネシアと中国にて
  3章 新社屋建築
  3-1 MPS
  3-2 テクノパークに新社屋
  3-3 MPSからの産物
  4章 開発物語
  4-1 Macintoshのデベロッパーカンパニー
  4-2 B.U.G.に子会社誕生
  4-3 ハイビジョン映像機器
  4-4 データベース出版システム
  4-5 MN128開発物語
  4-6 波乗野郎開発物語

3-3 MPSからの産物

 MPSは、印刷の製版の部分を電子化したものであったが、次にB.U.G.はその前段階に目を付けた。デザイン作業の部分における電子化である。デザイナーは、クライアントへのプレゼンテーション用や印刷所へ送る指示原稿として、カンプという印刷前の刷り上がり見本に似せたダミーの原稿を作る。カンプの作成は、紙と定規と鉛筆が基本で、色鉛筆などで色を塗ったり、先端のデザイナー事務所でも、当時出たばかりのカラーコピー機を使って切り貼りしたり、すべてが手作業であった。訂正作業が入るともなると、デザイナーにとっては大仕事となっていた。
 1989年12月、Macintoshをプラットフォームとしたプレゼンテーション用カンプ制作システム、デザイナーズワークステーション(DWS)開発プロジェクトが発足した。このプロジェクト発足の半年ほど前に、MPSの網伏せ(イラストの色塗作業)用のワークステーションMPCATSにグラフィックに優れたMacintoshの採用を始めていたことから、その利点を確信し、Macintoshなら可能であると考えていた。Macintoshを使用して画面上で画像や文字を高速にレイアウトし、イメージ通りの高解像度なものを出力する、さらには、そのカンプのデータを製版システムのMPSに取り込めるようなシステムを目指した。

SPEREAL
SPEREAL

 1990年11月、大容量の画像が画面上でレイアウトできるDWS「SPEREAL」Ver.1がリリースされ、翌年9月のIGASでは、描画が可能で文字も組み込んだVer.2が発表された。SPEREALは、ソフト単体ではなく、MOやカラーコピー機とのセットで販売された。すでにこの頃にはMOという媒体は登場しており、B.U.G.では、画像の保存用に適しているためMPSにも採用していた。SPEREALのMOには、MPSと同じドライブが採用された。大容量の画像を画面上で高速にレイアウトし、そのままのイメージで出力するには、高い画像処理技術が必要であるが、画面表示用に72dpiに解像度を落とした画像を用意し、出力時にはまた元の画像を使うという技術を使って解決している。
 SPEREAL Ver.2を使って作成した出力見本は、カンプとしてだけではなくそのまま印刷用の原稿としても利用できる美しさを実現し、IGASでは印刷会社の人からこれはどうやって印刷したのかと質問されるほどであった。そして1991年のMPSIIIのオープン化から約1年後、SPEREALで作製されたデータは、製版システムMPSにそのまま流し込めるようになった。こうしてデザインと印刷という工程が直結され、デジタルデータ化されていった。

 印刷、出版の工程がデジタルデータ化されたことによって、次にそれらを通信技術を使って受け渡しすることが可能となると考えられた。通常、デザイナーの事務所と印刷会社は離れたところにあるため、両方が電子化されても、そのデータをMOなどに入れて人が持っていかなければならない。この離れた2カ所をコンピュータの通信を使って直結すれば、データを持って移動しなくてもよい。そうして開発が始まったのが、Macintosh同士を結ぶROUTE ONEである。

 1990年、B.U.G.がMPSでVME用のボードを以前からいくつか開発していたことから、日新電機のELNIS開発部からVME用のISDNボードを共同開発したいという申出があった。日新電機がデバイスドライバを、B.U.G.の三浦がファームを担当し、矢住がハードの設計と試作機を開発した。これがきっかけとなって、ISDN回線を使ってMacintosh同士をつなぐ通信機器を開発しようという案が、三浦と矢住から出された。しかし、1990年当時、世の中にはMacintosh同士をISDN回線で結ぶ通信機器などはなく、ISDN回線自体も一般的ではなかったため、そんなものは売れるはずがないと反対される。ところが、VMEボード版の試作機をマルチメディア国際会議に出展させてみると、これがすごい反響となり、VME版ではなくルータとしてすぐにROUTE ONEプロジェクトが発足した。三浦、荒川、浅田の3人が中心となったROUTE ONEプロジェクトは、三浦、浅田の出身が旭川、荒川の出身が富良野だったことから、別名、上川盆地開発とも呼ばれていた。

ROUTE ONE
ROUTE ONE

 1991年、AppleTalkのみを通す、Macintosh用のISDNルータとしてROUTE ONEが販売された。ISDN回線を使ってMacintoshを結ぶ通信機器としては世界初であった。遠隔地にあるそれぞれROUTE ONEにつながったMacintosh同士は、ISDN回線を使用してデータ交換をすることができる。デザイン事務所や印刷会社ではすでにデジタル化されているところが多く、通信回線を使ってデータ交換をする環境が整っていた。アナログ回線で9600bpsの速度でデータを送るよりも、ISDN回線で64Kbpsで送った方が格段に速く送ることができるため、通信コストが安くなるので、デザイン事務所を中心によく売れたヒット製品となった。

 デジタルデータ化されるということは、文字、画像、映像、音などのデータがすべてホストコンピュータに蓄積され、一元管理できるようになるということである。受け取る側は、身近な端末から好きな情報だけを検索して入手することができる。例えば、現在のような放送局主導のテレビ放送ではなく、自分の見たい番組を検索してモニターに映し出すというようなこともできるであろう。B.U.G.では、このような夢に「New Generation Publishing」という新しい概念を打ち出して実現に向けて技術開発に取り組んでいた。デザイン、印刷、出版の世界の電子化に関わる過程で、今は分かれているパブリッシングが融合していき、いつでもどこでも誰もが欲しい情報を簡単に入手できるようになることを肌で感じていた。コンピュータという道具がメディアを電子化し、コミュニケーションの形を変え、パブリッシングの概念を拡げ、次世代のインフラを形づくる。つまり、広範な意味での情報伝達新時代が「New Generation Publishing」である。その道具づくりがB.U.G.の目指すものと考えられた。そして、その第一歩が、MPSやSPEREALで進めていた画像の電子化。そしてそのデータを届ける通信機器であった。


次回から、4章 開発物語 に入ります。

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Update.2000.02.29
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