BUG新卒採用ページ
20年史
  1章 BUG草創期
  1-1 北海道マイコン研究会
  1-2 個人経営ソフトウェアハウスB.U.G.誕生
  1-3 東京での就職活動
  2章 BUG設立
  2-1 株式会社BUG設立
  2-2 主力製品
  2-3 大企業ソニー
  2-4 大日本印刷との出会い
  2-5 インドネシアと中国にて
  3章 新社屋建築
  3-1 MPS
  3-2 テクノパークに新社屋
  3-3 MPSからの産物
  4章 開発物語
  4-1 Macintoshのデベロッパーカンパニー
  4-2 B.U.G.に子会社誕生
  4-3 ハイビジョン映像機器
  4-4 データベース出版システム
  4-5 MN128開発物語
  4-6 波乗野郎開発物語

4-2 B.U.G. に子会社誕生

 1990年、株式会社として設立されてからちょうど10年目にあたる年、B.U.G.に子会社バイスが誕生した。1980年代後半のバブルのピークだったころ、全国的にエンジニアが不足している一方で、能力の高いエンジニアはフリーとなって高給を取るものも多くいた。そうした時代の中、高い能力をもったエンジニアにとって当時のB.U.G.の雇用体系では折り合いがうまくつかないこともあったため、そこで、別会社として、新しい働き方を提案する形で、完全の出来高制を採用した株式会社バイスを設立した。社名は、「BY Super Engineer」から頭文字をとって、「BYSE」とした。

バイス

 テクノパークと違って、北海道庁前という札幌の中心部にオフィスを構えたため、広告やマニュアル制作には立地の面で都合がよく、担当していた何名かの社員もB.U.G.の道庁前分室として一緒に移ることになった。働き方の面からアプローチして設立されたバイスであったが、徐々に製品のマニュアル、広告、カタログ制作からはじまり、B.U.G.が、印刷、出版に関する開発を強みとしてきたことから、DTPのコンサルティング、コンピュータ関連の書籍出版まで幅広く手がけるようになった。1993年には、B.U.G.とアップル社との関係が密であったことから、アップル社のアウトソーシングで、Macintosh用開発ツールの輸入販売の運営を開始するなど、B.U.G.の技術開発力を背景に、その周辺に興る様々な分野での先進的なビジネスに取り組むようにもなっていった。

フィクス

 次に、1992年、東京に株式会社フィクスが誕生する。こちらは、全国各地の大日本印刷の印刷工場に導入されていたMPSのメンテナンスサポート業務を目的として東京に設立された。当時は、システムを納品したメーカーは、そのシステムのサポートは無償で行うというのが当り前であったため、開発エンジニアがサポートも行っていた。しかし、サポートというのは、単にコンピュータの知識だけがあってもできない仕事であり、人とうまく応対するスキルが要求されるため、必ずしもシステムに詳しいからといってエンジニアが適しているというものではなかった。そこで、B.U.G.では開発に集中し、性格の異なるサポート業務は独立させて子会社にしたのであった。現在では、B.U.G.製品だけではなく、他メーカーのメンテナンスサポートや、ネットワーク管理業務からホームページ制作に至るまで、コンピュータに関するサポートからサービスまで手がける会社に成長した。社名は、「Flexible, Intelligent, Excellent」なサポートを目指すことから「FIX」となったが、開発会社のバグをフィクスする、という意味でもある。
 こうして、開発B.U.G.の周りに、その周辺で興るビジネスを行うバイス、サポートなどを行うフィクス、という体制が整いつつあった。

 コンピュータは、数字を扱うことから始まり、文字、絵と進み、さらに動画や音声までも扱えるようになっていく。その過程で、コンピュータに文字から動画や音までを配布する手段として、CD-ROMが現れた。そして世間ではマルチメディアという言葉が出てくるようになった。バイスでは、1993年からデジタル出版としてCD-ROMのコンテンツ制作を開始した。海外のゲームや絵本のローカライズを手がけ、中でも、フランスの絵本「ルル」はヒット商品となった。

サテライト

 あるとき、サザンオールスターズの事務所でも有名なアミューズのプロデューサから、「これから、デジタルアニメーションを作ってみたいが、東京には引き受けてくれるところがない、そちらではできないか」という内容の依頼があった。これまでB.U.G.で、印刷業界の電子化を目の当たりにしていたので、これからはきっとアニメーションの世界でも同じようなことが起こるだろうと予想がつき、引き受けることにした。コンピュータによる情報の電子化はB.U.G.のもっとも得意とするところであったが、アニメーションの世界については何も知らなかったため、東京にいた北海道出身のCGアニメーション制作の第一人者前田庸生氏を迎えて、デジタルアニメーションの制作を始めることとなった。そうして、バイスとアミューズ、前田庸生氏とで、世界初の連続テレビ番組におけるフルCGアニメーション「Bit the CUPID」が誕生する。

Bit the CUPID
Bit the CUPID
(c)SUSUMU MATSUSHITA COMPANY/テレビ東京/B2プロダクション

 この成功により、これからはアニメーションもデジタルの世界に進んでいくことを確信し、Bit the CUPIDを手がけたバイスのサテライト事業部は、株式会社サテライトとして1995年に誕生する。B.U.G.では、デジタルアニメーション制作ソフト「GIGA」を開発した。

 

 バイスはデジタルコンテンツを手がけていた一方で、アップル社のアウトソーシングを引き受けていたことから、1994年、Macintoshのシステムに組み込まれていた「デジサイン」という電子署名プログラムの署名承認ファイルを発行するようになった。アップル社は、世界にさきがけて、電子認証という技術をすでにOSの上で実現し、Macintosh同士の電子メール交換などに実用化していたのである。アップル社から、日本でも電子認証局が必要だから引き受けて欲しいと相談があったころ、「電子認証」などという聞きなれない言葉に戸惑ったが、大学の専門が暗号であった田崎が、これは引き受けた方がいいだろう、と判断した。アップル社のためだけの認証局ではあるが、バイスは日本初の電子認証局となったのである。アップル社からバイスまで依頼が来たのは、まだおそらく「電子認証」という言葉を日本のどの企業も分からなかったか、もしくはビジネスになると思わなかったからであろう。インターネットという言葉が一般的に使われるようになる前のことで、B.U.G.でもこのときは、これほどまでに利権が絡み合う大きなビジネスになるものだとは思ってもみなかった。

 B.U.G.では、1989年、テクノパークに移ってすぐのころ、bug.co.jpのドメインを取得した。天井からネットワークケーブルや電源コードがぶらさがっていた北山ビルとは違って、テクノパークの本社屋は、床内配線ができるように設計してあり、社内のいくつかのUNIXマシンでTCP/IPでのローカルネットワークを構築し、一部で実験的に運用していた。1990年4月には、JUNETに接続し、社内では「JUNET接続の手引き」が配られ、同年6月の名刺には、すでに電子メールアドレスが刷られていた。そして、同じく1990年の7月にIPアドレスの取得申請を行った。将来を見込んで現在あるホスト数を100として今後5年で450に増える旨記入し、クラスBで申請した。するとすぐ8月には、取得時期が早かったからか、プロバイダ並みのクラスBがWIDEから割り当てられた。

 当時の電子メールは、UUCPを使った接続で、数時間に1度、同業の民間企業に接続し、そこから北大に接続して、という具合に通信していた。バケツリレー式の通信であったため、海外へのメールには、1日近くかかることもあった。使用頻度も1日に1通来るか来ないか、1度来ると1ヶ月ぐらいはメールが来ないという程度であった。1993年8月にはIP接続が開始され、電子メールのやりとりも早くなり、FTPができるようになったので、世界中の便利なソフト(FetchやMacPPPなど)をダウンロードして使っていた。社内では、IP接続が開始されて半年ほど経つころには、NCSAモザイクやMacWebなどのブラウザを使って、外のページを見たりするようになっていた。この頃からインターネットという言葉が使われはじめるようになる。UNIX系のマシンには標準でメールソフトが添付されていて、ローカルなネットワークではテキストのやりとりがすでに可能であったため、世界中で電子メールが交換ができるようになったことについては特別の感動もなかったが、ブラウザの登場にはみな感動し、便利な世の中になったものだと思った。

 B.U.G.では、インターネットが普及したその後は何が来るだろうと、その次の世界を想像するようになったいた。インターネットがそのうち一般家庭にも普及するようになると、バイスでの認証局の経験からいっても、今度はやはりネットワーク上での安全性が問題になるのではないかと考え、暗号の技術を研究するようになった。そして、暗号技術の世界標準となっている公開鍵暗号の特許を持つRSA社に、セキュリティソフトウェア開発キットの輸入を求めて、まだRSA社にも社員が数名しかいなかったころ、浅田が米国まで飛んだ。しかし、当時、暗号技術は、米国の軍事技術として輸出が規制されていたため、輸入許可が下りなかった。しばらく後、インターネットの普及を見た米国政府が規制を緩め、世界で初めてB.U.G.がRSA社よりセキュリティソフトウェア開発キット「BSAFE」「TIPEN」の暗号技術の輸入に成功したのである。

 RSA社は、後に子会社で電子認証局を営むベリサインを設立した。ベリサイン日本法人には、当然、B.U.G.がなるであろうと思っていたところ、折り合いがつかず、結局B.U.G.は下りてしまったのだが、ちょうどその頃、同じく電子認証局を営んでいたGTEサイバートラストから日本の電子認証局運営についてのコンタクトがあった。川島が中心となってこの話をまとめ、1997年、GTE、野村総研、NTTドコモと共同でサイバートラストジャパンという電子認証局を設立するにいたった。日本で初めてのホスティングサービスも行える本格的な電子認証局である。

netshop

 バイスでは、さらにインターネット上のオンライン決済を実現した「NetShop北海道」を1996年に開始した。インターネットが普及したときに広まるであろうオンラインショップは、小さいお店に有利であろうと考えたからである。例えば、隣のおばぁちゃんが毎年たくさん漬けて近所の人に配っているおいしいおしんこといった、普通のお店では扱いにくく、簡単には手に入らないけれどもみんなが欲しいと思うようなものがインターネットを使ったオンラインショップに向いているのではないかと考えた。しかし、使い方が難しいと一般の人はオンラインショップが開くことができない。そこで、安くて運用が簡単なサーバシステムの開発をB.U.G.が手がけ、バイスで実験的にそのシステムを使ってオンラインショップを開き、使い勝手がよくなればそのシステムを販売しようと考えたのである。ちょうどオンラインショップで想定する商品として北海道のなまものがあてはまったため、なまものから様々な手作り品まで手に入りにくいものを中心に扱う「NetShop北海道」をバイスで立ち上げたのであった。ホームページ上で買い物かごを持って、欲しい商品をクリックしてかごに入れていく仕組のシステムである。しかし、結局はB.U.G.の開発したオンラインショップのシステムは運用するのには難しいものにならざるを得なかったので、システムだけを販売することには至らなかった。実際に、当時オンラインショップは、大企業が様々な商品を扱うデパートのようなモールをインターネッ上で開いていたが、そのほとんどが失敗していた。現在になってシステムを代わりに運用してくれる会社が出現し、オンラインショッピングは成功しはじめている。




次回は、4-2 ハイビジョンビデオカード開発物語です。世界に1社だけの開発メーカーになるまで。

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Update.2000.05.02
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