BUG新卒採用ページ
20年史
  1章 BUG草創期
  1-1 北海道マイコン研究会
  1-2 個人経営ソフトウェアハウスB.U.G.誕生
  1-3 東京での就職活動
  2章 BUG設立
  2-1 株式会社BUG設立
  2-2 主力製品
  2-3 大企業ソニー
  2-4 大日本印刷との出会い
  2-5 インドネシアと中国にて
  3章 新社屋建築
  3-1 MPS
  3-2 テクノパークに新社屋
  3-3 MPSからの産物
  4章 開発物語
  4-1 Macintoshのデベロッパーカンパニー
  4-2 B.U.G.に子会社誕生
  4-3 ハイビジョン映像機器
  4-4 データベース出版システム
  4-5 MN128開発物語
  4-6 波乗野郎開発物語

 1995年のMACWORLD Expo/Tokyoに、中日新聞の制作システム部の担当者がBUGブースを訪れ、Photoshop用のプラグインを作成してもらえないかと相談を持ちかけたのが、中日新聞がB.U.G.を知る最初のきっかけであった。このとき担当者の頭には、札幌にある名もない企業だが、いろいろなシステムについて自分たちと同等以上の知識を持っているな、という印象が残った。
 これまで、新聞制作のシステムは、各社で異なる特殊な閉ざされたシステムであり、画像のフォーマットも独自のものが採用されていたが、DTPなどの影響もあり、新聞社も様々な画像フォーマットに対応しないとデータ交換ができなくなりつつあった。そのような状況の中、中日新聞ではいち早く、新しい画像処理システムの導入について検討に入っていた。具体的には、画像処理端末を専用端末からMacintoshへ変更し、処理ソフトも汎用のソフトを採用する、電子出版の事実上の標準ページ記述言語であるPostScriptを全面採用する、画像データベースサーバを中心としたネットワークを構築する、などが検討されていた。MPSで培った画像処理技術に加え、Gazetteで培ったネットワークとデータベースを絡めたシステムの開発は、B.U.G.の得意分野であった。5社でのコンペとなったが、B.U.G.の提案にもっともオープン性があったため、大手メーカーをしりぞけ、中日新聞での新画像処理システム開発のメインパートナーとなったのである。新聞制作システムの開発は、これまで大手メーカー数社の独占市場であったにも関わらず、そこに新聞制作システムの開発実績がない、しかも札幌の企業をメインパートナーとしたのには、大変な勇気と決断力が必要だったに違いない。

 1997年10月にひかえた分散工場(東濃工場)稼働までの運用開始を目指して、1997年2月より新画像システムCGS(Combination multiprocessing Graphic System)の開発がスタートした。1998年2月には、多くのカラー写真を掲載するオリンピック(長野冬季オリンピック)もひかえていた。
 さて、新聞が毎日刷り上がるまでの過程を簡単に説明すると、新聞社には、支局記者や通信社、広告代理店など様々なところから記事や写真、広告など新聞の素材となるものが送られてくる。その中から掲載する記事や写真が決まると、整理記者と呼ばれる人が、記事に見出しをつけ、写真のサイズやレイアウトについて掲載指示を出す。そうしてすべてレイアウトされたところで、各工場に転送され、輪転機と呼ばれる機械で印刷されて新聞ができあがる。
 B.U.G.が開発したのは、この新聞制作の流れの中で、集まってきた素材の中から画像に関するものすべて(報道写真、広告、天気図などのイラストも含めて1日に3,000点近くにもなる)をデータベースに取り込んで蓄積管理し、それらの画像処理から、整理記者の掲載指示までをデジタルデータ化し、ホスト組版システム(レイアウトを行いフィルム出力するシステム)に対応した新聞業界標準のフォーマットに変換するまでを行うシステムである。画像の蓄積・管理を行なうサーバにはSunのUltraEnterpriseを、データベースソフトウェアにはOracleを、クライアントには掲載指示を出すWindowsと画像処理を行なうMacintoshを採用し、ネットワーク化している。

CGSの仕組
CGSの仕組

 スタートから約8ヵ月間で、1次運用までこぎつけ、東濃工場スタート時には新システムの運用が開始された。システムが落ちると、その日の新聞制作に大きな支障をきたすので、導入当初は、B.U.G.のCGS開発チームは全員PHSを持たされることになり、交代で24時間、名古屋と札幌につめていた。長野オリンピックも、無事、新システムで新聞が制作された。その後、開発はさらに進み、当初の目的であった画像のデジタル入稿にも対応し、新聞業界標準のフォーマットだけではなく、様々な標準画像フォーマットを受け付けることが可能となっている。
 画像がデータベース化されたことによって、各担当者が目的の画像をパソコンで検索・表示できるようになり、業務が大幅に効率化した。例えば、中日新聞のようなブロック紙の場合、配達される距離の違いにより締切時間の異なる複数の新聞を制作しているため、版が切り替わる間に急なニュースなどがあった場合には、地方部と都市部とで取り上げられる記事が違うことなどもある。これまで紙ベースであった整理記者からの掲載指示が、ネットワークを使って指示できるようになり、担当者もその場で指示された画像を表示・修正できるようになったので、このような急な差し替えにも迅速に効率よく対応できるようになった。

 クライアントのニーズをよく取り入れ、OSや機種などにとらわれないオープンなシステム開発は、中日新聞社内でも高い評価を受け、さらに、中日新聞は1999年度の 新聞協会賞 技術部門 を受賞した。B.U.G.は、新聞制作システム開発の独占市場に飛び込み、オープンシステムという大きな風穴を開けたともいえる。日頃、何気なく手にする新聞や情報誌にも、実は影ながらB.U.G.の技術の結晶が入っているのである。


次回は、MN128開発物語です。

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Update.2000.10.19
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