BUG新卒採用ページ
20年史
  1章 BUG草創期
  1-1 北海道マイコン研究会
  1-2 個人経営ソフトウェアハウスB.U.G.誕生
  1-3 東京での就職活動
  2章 BUG設立
  2-1 株式会社BUG設立
  2-2 主力製品
  2-3 大企業ソニー
  2-4 大日本印刷との出会い
  2-5 インドネシアと中国にて
  3章 新社屋建築
  3-1 MPS
  3-2 テクノパークに新社屋
  3-3 MPSからの産物
  4章 開発物語
  4-1 Macintoshのデベロッパーカンパニー
  4-2 B.U.G.に子会社誕生
  4-3 ハイビジョン映像機器
  4-4 データベース出版システム
  4-5 MN128開発物語
  4-6 波乗野郎開発物語

4-5 MN128開発物語

 B.U.G.のISDN通信機器開発の歴史は長い。1990年に開発したVMEバス用ISDNインターフェースボードが始まりである。これがきっかけとなって、1991年にAppleTalkのみを通す、Macintosh用のISDNルータROUTE ONEが開発・販売された。遠隔地にあるそれぞれのROUTE ONEにつながったMacintosh同士は、ISDN回線を使用してデータ交換をすることができる。世の中には、MacintoshのLocalTalkを公衆回線で結ぶ通信機器がなく、Macintoshの世界ではROUTE ONEが初めてであった。デザイン事務所などによく売れた製品である。そして次に、IPもサポートされ、EtherTalkでUnixやLaserWriterともデータ交換できるROUTE ONE/Etherが開発された。
 このROUTE ONEシリーズの開発から、ファイリングチームとISDNチームに分かれて、それぞれ別の製品を開発していくことになった。ファイリングチームは小型ISDN TAのLinkboyシリーズやリモートアクセスサーバNetEntranceを手がけ、ISDNチームは、ROUTE ONEを進化させていった。

Linkway 64/PB
Linkboy Pocket
Linkboy DUO128

 Linkboyシリーズの最初のモデルは、Linkway64/PBというボードである。その後、匡体に入った手のひらサイズのLinkboy Pocketを1994年7月に販売開始した。ノートパソコンとISDN公衆電話(グレー電話)が世の中に登場し始めたころである。Linkboy Pocketは、あのグレー電話のISDNモジュラージャックはいったい誰が使うんだろう、使っているのを見たことがない、ならばモバイル用のTAを作ってやろうと、開発された。エンジニアの知る限りでは、モバイル用のISDN TAは日本初である。そして、ISDN同期64Kのサポート開始されるとそれに対応してPCカード型のLinkboy D64Kを開発、1994年11月に販売、MPのサポートが開始されるとLinkboy D128/DUO128を開発、1996年11月に発売した。Linkboy DUO128は、アナログモデムとISDN TAのコンボカードである。

 1995年5月、Linkboyを開発していた実績から、NTTより、ISDNを普及させるために低価格のTAが作れないか、との話が舞い込んだ。当時、ISDN TAは、7〜8万円の価格がつけられ、匡体も大きかった。さらにDSUや回線工事費を合わせるとISDNの初期導入コストは、10万円を超えざるを得なかった。この初期コストの高さが、ISDNが普及しない一因とも言われていた。1995年7月、数社の中から、価格、性能面で優れていたとの判断により、B.U.G.に白羽の矢が立てられ、NTTと共同開発をすることとなる。発売日は、128にちなんだ、1995年12月8日であった。開発期間はわずか5ヶ月である。Linkboy開発チームを中心にエンジニアが集められ、10人ほどのチームとなって、まさに不眠不休の厳しい開発となった。開発の進捗や打ち合わせなどのNTTとの連絡のほとんどが電子メールとテレビ会議で行われた。
 1995年12月8日、MN128は、NTT-TE東京より39,800円で発売された。ISDN初期コストもMN128のパック販売によって安くなり、予想を上回る反響を呼んだ。1995年は、Windows95が発売され、インターネットブームが吹き荒れていた年でもある。その波にも乗って大ブレイクを巻き起こした。当初、初年度1万台を見積もっていたが、フタを開けると発売以来で10万台を超える製品となった。発売直後は、部品の調達などが間に合わず、店頭では在庫切れが続いてしまった。B.U.G.史上初めての10万台のオーダーである。Linkboyなど自社ブランド製品は、せいぜい千単位の販売数だったのだ。MN128は、ISDN回線普及の起爆剤になったとして、高く評価されている。そして、徐々にB.U.G.の名前がMacintosh以外の世界でも全国に知られ始めるようになった。
    

MN128
ROUTE101
MN128-SOHO

 そのころ、ルータを手掛けていたISDNチームも、ROUTE ONEの後継機種を開発していた。1996年4月にROUTE101を販売する。名前は、シリコンバレーを走るルート101からとった。ROUTE101の目玉は、Ethernetにつながっていながら端末型ダイヤルアップができるというネットワークTA機能(IPマスカレード+NAT)を搭載したことであった。グローバルIPアドレスとプライベートIPアドレスを変換するIPマスカレードと言われるこの技術はまだ一般的ではなく、ROUTE101に搭載したものの、端末型の契約をしながら複数台のパソコンがインターネットに同時に接続できるというようなことが許されるのかという危惧があったため、パンフレット等での大々的なうたい文句とはしなかった。しかし、これが後のMN128-SOHOのAutoNAT機能と呼ばれる機能であり、ルータの世界に、個人向けダイヤルアップルータという市場を生み出すことになるのである。

 MN128の開発から1年ほど経たころには、競合他社からの安いISDN TAの参入が相次ぎ、MN128はNECにTA市場を取られ始めていた。ISDNの市場は拡大していたのである。そこで、MN128チームとROUTE101チームとが一緒となって何か面白いものは出せないかと、社内で企画検討会議が始まった。そこから出された案が、ISDN TAのMN128と、ルータであるROUTE101が合体したMN128-SOHOである。  
ルータは、ネットワークとネットワークをつなぐデータの中継装置であり、ある程度ネットワークの技術に精通していなければ、設定して使うことが難しく、主に企業間のネットワークを結ぶのに使用されているものである。一方で、TAは主に一般の人が家で1台のパソコンをインターネットにつないで、今までのアナログ電話もそのまま使えるようにする機械である。家庭や小規模オフィスで複数台のパソコンから同時にインターネットに接続したいという需要があるのではないかと考えた。そのころすでにB.U.G.のエンジニアの家には、複数台のパソコンがあり、家族でそれぞれ自由にインターネットを楽しみたい、という自分たちの要望もあった。ROUTE ONEチームも、安くて一般の人に使ってもらえるようなルータを作りたいと思っていたのだ。そこで、ルータの性能を利用して、どのパソコンからも簡単にダイヤルアップしてインターネットにつないで同時に使用できる、電話も今までどおりに使える、という個人向けのダイヤルアップルータをいう案が考え出された。ユーザがなるべく設定をしなくても済むように、特別な設定ソフトではなく、誰でも持っているブラウザソフトを使って、プロバイダへ接続する際に必要な最低限の3つの項目、ユーザID、パスワード、電話番号を入れるだけでMN128-SOHOが自動的にインターネットに接続するようにした。最初に3つの項目を設定してしまえば、次回以降は、どのパソコンからも、電子メールソフトやブラウザソフトを立ち上げるという操作をするだけで、自動接続機能が働き、プロバイダに接続されるため、TAのような回線接続の動作も必要ない。また一定時間が経ってもインターネットを使用する動作がなければ、自動的に回線を切断する機能も搭載された。
 このような働きを可能にしたのは、ROUTE101のネットワークTA機能(AutoNAT機能と呼ばれるようになった)に、新たに、ブラウザ設定対応、DHCPサーバ機能、AutoDNS機能などを加えることによって、人が設定なくても自動的にルータ自身が様々な設定を行うようにしたからである。ユーザは、ルータであるにも関わらず、IPアドレスやDNSの設定などこれまで全くなじみのない設定をすることなく使える。これがMN128-SOHOの目玉ともなった。

 このような通信機器は、もちろん世の中にはなかった。自分たちはあったら便利で欲しいと思うけれども、果たして世の中にそんなに複数台パソコンを持っている家があるのだろうか。実は、売れるかどうか全く分からなかった。むしろ、同時進行で開発していたMN128の後継であるTAのMN128-V3の方が期待されていた感があった。この製品を出すにあたり、B.U.G.では、MN128という名前をつけるか、それとも自社ブランドで全く違う製品名をつけて販売するか迷っていた。自社ブランドで行くには、B.U.G.はまだまだ知名度が低く、営業にもパワーをかけなければならない。「MN128の名前をつけよう」服部の鶴の一声であった。

 「MN128のラインナップのひとつとして考えられないだろうか」、MN128の販売元であるNTT-TE東京(現NTT-ME)に企画を持ちかけた。NTT-TE東京としても、売れるかどうか予想がつかない企画ではあったが、結局MN128として共同開発しよう、という決断を下した。名前も、スモールオフィス、ホームオフィスがターゲットならば、MN128-SOHOで行こうということになった。
 こうして、MN128-SOHOは、1997年6月に店頭に並んだ。MN128を上回る予想以上の反響であった。MN128-SOHOは、個人ルータ市場という新しい市場を生みだし、やはり10万台を突破する実績を残した。雑誌などのメディアにも多く取り上げられ、1999年、B.U.G.は、第9回ニュービジネス大賞 優秀賞を受賞する。
 大手メーカーも、MN128-SOHOの機能を基準として、個人向けダイヤルアップルータ市場に乗り込んできた。MN128-SOHOは、他社との競争の中で、一歩でも早い機能アップを目指して進化を遂げていった。それは同時に低価格競争でもあった。液晶表示やメールの機能、無線機能、さらには、ISDNだけでなくPHSやADSLへの対応など、ユーザのニーズに答えながら、単なるルータ以上の性能が追加されていく。

 もはや、札幌の小さなB.U.G.は、Macintosh関連市場だけでなく、一般ユーザ向けの市場でも大手メーカーと争うまでになっていた。


 次回は、「波乗野郎」開発物語です。  

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Update.2002.01.11

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